top of page

文鮮明先生との最初の出会い

  • 2025年11月1日
  • 読了時間: 2分

文先生は戦前、早稲田大学にて電気工学を学ばれ、1943年9月に韓国に帰国した後、1965年1月28日に日本に来られました。私は2月2,3日に大阪でお会いしました。当時、まだ開拓時代であったので関西の信者は40名余りであったと思います。 

 

私は文先生がイエス様のような方と想像し、神秘的な方ではと思い、白い衣を着て来られるのではと思っていました。しかし、名古屋から車で到着された文先生は普通に背広を着て居られ、外的には何ら神秘的ではなかったことに却って強い印象を受けました。小さな2階建ての家屋を教会として使っており講話が終わると、2階に文先生はお泊りになり、私たちは1階で寝ておりました。夜中に2階から誰かが降りて来られたと、私が目を開けて見ていると文先生がステテコ姿で一階のトイレに行かれました。ますます私自身が描いていた神秘的な方ではとの先入観が瓦解したので良く覚えています。

文先生は外的に特殊な服装をし、現れることはそれ以後もありませんでした。外的な様相は全く我々と変わりませんでした。

しかし、話し始められると熱を帯び、汗を流しながら真剣でした。話の内容も教会に入ったばかりの私にはすべて分かったわけではありませんが、本心に響く内容であり、心打たれ、今でもその内容が私の生き方に強い影響を与えております。

文総裁は下記のような話をされました。

『先生は、日本人である。日本を真に愛する者が、真の日本人であり、世界を、天宙を愛する者が、世界人であり。天地に公認される者となることが出来る。   1965年2月2日 大阪にて』と話され、韓国では韓国を愛し、日本では日本を愛し、アメリカではアメリカを愛し、どこに行っても誰よりもその地をその国を愛そうとする自分の国や民族を愛する民族主義者でなく世界人であると感じました。

また、最初の出会いで私は特に2つの事が強く印象として残りその後の生活の指針となりました。①我々の親なる神様は私のような何の価値もないと思っている者に、なくてはならない子女として無条件で愛してくださり、尊く思い、日々、助けたいと思っておられ、神様が私が必要であると感じ歩むことが信仰生活であること。

②また我々の人生は周りに接する人は神様が送ってくださったと考え、ために生きる愛を投入する生活であるとの話であった。 ために生きる事を常に努力して歩む生活をすることを努力してきました。



 

 
 
人�材育成ロゴピー.jpg

人材育成協会​

​〒121ー0072

​東京都足立区保塚町1-6

​トップへ

​代表 柴沼勝彦

​ホーム
​入会案内

070-6637-0470

​心と体の健康
​名画と聖書
​会員専用ページ
bottom of page