私は文豪トルストイと同じ悩みを持っていました。
- 7月31日
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7月30日Xへの投稿
私は文豪トルストイと同じ悩みを持っていました。その悩みの解決の道を示してくれたのが原理の堕落論の内容でした。
小学生の頃、家の前の用水を竹ぼうきで掃除をしている時、同じ用水を使っている隣人が邦ちゃんご苦労様と声を懸けて来た時、感じたことです。
ご苦労様と声かけてくれた人に感謝の思いを持つ代わりに、ご苦労様と言うなら何故、声を懸けるだけでなく自分も用水の掃除をしないのかと裁きの思いが湧き、何故、そのような思いが出てくるのか、何と自分の心がいじけているのかと感じさせられていました。子供の頃から自分の心の在り方、感じ方に関心が私はありました。
なにか良いことをしても常に見返りを求める自分があることに違和感を感じ、出来れば見返りを求めないで良いことのできる人間になりたいと感じて来ました。
自分の心に沸き起こってくる2つの思いがあり、その事がより鮮明に表れて来たのが思春期の頃からでした。異性に対する感情の中に明らかな2つの心があり、利己的な情的衝動(邪心)と利己的な情に支配されてはいけないとの心(本心)との葛藤が自分の内面で闘っていることを強く感じていました。
私が影響を受けた文豪トルストイも彼の日記の中で自身の性的経験や欲望について率直に記しています。強い性欲に悩まされた事、農奴の女性に子供を産ませたことに「自分は道徳的に堕落している」と欲望を抑えられない自分と、道徳的に生きたいという理想との間で苦しみ、自己嫌悪の思いに苛まされていました。
トルストイの内面の葛藤を題材にして、彼は有名な『復活』という小説を書きました。
私自身は実体的に異性と関係を持ったことはありませんでしたがマタイによる福音書5章27-28節に「『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたも聞いている。しかし、わたしは言う。情欲を抱いて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのである。」とのイエスの言葉に、大変、ショックを受け、女性を見る事さえできなくなるほどでした。
原理の堕落論を聞いた時、本心と邪心の相反する心の出発点が人間の性の問題にあったとの内容に大変、驚き、納得が行きました。堕落論の教えはおとぎ話のようであるエデンの園の物語が我々に生活の生きた教訓として迫って来ます。


